子供がコロナ感染し、仕事を休む事になり、
迷惑をかけてしまっています。
でも自分ではどうにもならない。
どうにもできない。
昨日、頭の中で整理できず、気持ちだけ焦って
結局何もしないまま、
子供の熱は下がらず、上の息子も
俺もまた二回目感染するん違うか?友達と遊びにも行きたかったのにと
不満ダラダラと言い、
大阪のじいちゃんが悪い訳ではないけど、嫌やーと
ごめん。私も嫌、泣きたい。
みんな仕事してるのに....忙しいのに私休む事になって。
職場の方から、仕事はどうにかなるからとラインをもらい
みんな優しくて、感謝しかない。
Fミンからもラインをもらい、
職場で植えた朝顔が咲きました。と写真を送ってくれた。
朝顔咲く気配が無かったので、びっくりしました。
仕事は、助けあいので気にしないで下さい。
7月過ぎてから植えたからか、なかなか成長しなかったので
やっぱり花ができないんだなって私もあきらめていたけども
私やFミンが変わりばんこで、お水をあげてた。
写真見て、無茶苦茶嬉しくなって
ありがとう。
なんか本当に嬉しい。
直接見たかったけど、
ちゃんと朝顔、生きてくれていたんだな。
何もできない自分の立場に落ち込んでたから
気持ちパッと明るくなって、くよくよウジウジしてても仕方ない。
スタッフのみんなありがとう。Fミンありがとう。
今、自分ができる事をしていくしかない。
そういえば、
以前、古本屋で見つけた、松下幸之助サンの本を買って
時間がある時読もうって置いてあったのが目に入って
なかなか読めてなかったからこんな時だからなにかヒントになるかもと読むと、
時を待つ心
何ごとをなすにも時というものがある。
時―それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春は近い。
桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、
時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、
着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、
時は必ず来る。
時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
文章の中に、
僥倖と言う言葉が出てきてて❓どういう意味と
調べたら
思いがけない幸運。偶然に訪れた幸運。こぼれざいわい
そうなんだ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
朝顔も
咲いてくれた。
朝顔の写真を送ってくれたFミンの優しさ、温かさに気持ちが楽になって
今できる事を考えたら、仕事で使うウエスを家でも作る事も出来る。
気がつかなかった感謝しないといけない事もある。自分の考えももう一度見つめ直す事ができ
良かったんだな。