12月13日 母が亡くなった。
7年前にくも膜下出血で倒れ、父の願いで延命治療し、重度の障害で寝たきり、鼻腔栄養 気管切開。
自由にならない身体で言葉も話せない。でも母は何か想い、耳は聞こえていたと想う。
コロナが出るまでは月に一度は面会に行っていたけど、コロナが出てから面会出来ず、
会えたのは、二度程で、痩せていて身体も小さくなって、硬直もあり手は伸びなかった。
長い闘病生活で本当にしんどかったと思う。
眉間に皺を寄せてる時もあり苦痛の部分はあったと想う。
どんな形でもいてて欲しかったけど、母にとっては地獄だったと思う。
最後家族みんなそれぞれ声をかけて、
迷惑かけてごめん。心配させてごめん。よく長い間頑張ってくれてありがとう。
長男の弟が子供四人を育てて、お母さんの人生母素晴らしかった。と言った言葉に
家族みんな泣き、母に感謝しかなかった。
棺に母の好きだった品、奈良の名物、奈良漬とさつま焼きを入れた。
母が元気だった頃にもう一度戻りたい。